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流線形シンドローム 速度と身体の大衆文化誌 | 書評

現実性のない提案や、役に立たない議論はよく「文学的」と椰楡される。それに対し、「科学的」というと、つねに客観的で、正しいというイメージがある。この魔法の言葉さえ冠せば、誰でも反対できなくなる。

著者が注目したのは「流線形」。学術用語として、流線形は流れのなかに物が置かれたときに、流線と一致する形のことをいう。しかし、この言葉は空気動力学の用語でありながら、大衆文化の文脈において、きわめて情緒的に流用されてきた。

流線型はそれ自体が目に見えず、物体の外形を通してしか知覚できない。この言葉は科学と抒情の両面の含意を持っており、一筋縄ではいかない。しかも、異なる文化や歴史背景のなかで、必ずしも同じように語られてきたわけではない、問題を多面的に捉えるために、本書ではアメリカ、ドイツ、日本という三つの観測点が設けられた。

アメリカでは一九一一年、ポピュラー科学雑誌に登場したのをきっかけに、流線形は一種のイメージ言語になり、未来を象徴する記号となった。
1920年代には比喩表現として自然界から援用されてきたのは、雨の水滴や卵型や淀みのない方であった。要するに無生物や生命体に対しても静止だった。
しかし、1930年以降は鯨やイルカなどの運動性に優れた動物たちであった。
その背景として、科学雑誌のメディア特性が一般読者に「わかりやすく」伝える時に、化学的な根拠があるからである。
例えば、フロリダ州でカブトムシに扮した車を砂漠に走らせ、2000マリ期のエンジンを搭載し、風洞装置での模型実験を行った際に、普通のレーシングカーよりも時速300マイルで空気抵抗が3分の1減少したとされている。

二十世紀三〇年代に入ると、市販車の設計に取り入れられ、流線形の大衆化の時代を迎えた。一九三四年を境にして、アメリカ社会は一挙に流線形で溢れていく。流線形自動車、流線形蒸気機関車だけでなく、ゴルフクラブ、扇風機、ひいてはマイク、インターフォン、配膳台などおよそ空気抵抗となんの関係もないものにも応用されていく。

同じ流線形シンドロームでも、アメリカとドイツと日本ではそれぞれに違う。ドイツは流線形の「発祥地」とも言える。空気抵抗の科学的解明から、自動車、飛行機、潜水艦などへの応用、および流線形の理論への取り組みにいたるまで、つねにほかの国を一歩リードしていた。ただ、アメリカに比べて、流線形という言語運用は厳格で、また、その語り口は国家主義的な価値観と共鳴しあっていた。アメリカの流線形デザイン思想は、進化論と優生学を成立させる言説の枠組みにおいて語られたのに対し、ナチスドイツの流線形思想は、自然と技術の融合という枠組みのなかで神話化された。優生学的表象機能を帯びなかったのは、わざわざそうするまでもなく、流線形がナチスの排他的な民族主義的概念装置だったからだ。こうした意外な事実は、豊富な引用と丁寧な資料解読によって次々と明らかにされた。

日本における流線形の語り口はどちらかという文学的である。とりわけ、短信記事は日常的な言語を用いながら、感情に訴えるような文体になっている。一方、国産の流線形蒸気機関車が独自に開発され、鉄道に応用されるようになった。自動車のほうも遅れを取っていない。外車か国産車かを問わず、流線形はモダンなデザインの隠喩として乱用された。北米、欧州と日本はたんに互いに参照軸になったのではない。三者の比較は異なる文化/歴史的文脈における科学イメージの表象特徴を炙(あぶ)り出す結果となった。

日本の流線形シンドロームのなかでも、昭和十年頃には一つの際立った特徴がある。推理小説にも映画にも流行歌にも流線形という言葉が踊っていた。「流線音頭」「流線ぶし」などがヒット曲になり、カフェーの看板に「流線形サービス」と書かれ、「流線」のつく言葉が氾濫していた。記号の戯れに徹しているところが、いかにも日本らしい。同じイメージでも、異なる言語文化のなかで、その増殖の仕方がまったく違う気づきがあった。