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デザイン・アート・美術ぶろぐ

兵庫県明石市の公園のトイレから考える「誰にでも使える」デザインとは。

皆さんは、兵庫県明石市のトイレのニュースを見たことがあるだろうか。

具体的には、トイレの男女のマークデザインを市民投票して募集したところ「青と赤で男女を区別するデザインは性的少数者の配慮足りない」との声を反映し、男女のマークを色分けしない案が決定した事例である。

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市によると「『男性が青、女性が赤』という決めつけは性的少数者への配慮が足らない」「市は性的少数者が暮らしよいまちづくりと言いながら、過去の固定概念にとらわれている」といった問題提起の意図がある。

しかし、そのようにLGBT支持者としての票は約700票中2票のみ。少数派の意見を取り入れてまで、トイレの男女を見分ける重要な要素である「色」の情報を削いてしまって良いのだろうか。

 

公衆トイレなどで利用者の性に配慮した空間づくりが求められる傾向は、生活設備機器メーカー「TOTO」(北九州市)の調査でも明らかになっている。同社が2018年、体の性とは異なる性自認を持つ「トランスジェンダー」ら約800に尋ねた調査で、「男女別のトイレしかなく選択に困る」と答えた人は21.4%に上った。

 

色分けとジェンダー問題は同じにすべきでない

toilet_logo

そのような兵庫県明石市の事案に対して、私は色分けとジェンダー平等を混同して議論すべきではないと考える。

ジェンダー問題は、論点が明確ではないのも問題である。そのため、LGBT用のトイレが欲しいか、表記や呼び方を男限定・女限定のように不明瞭に表せば問題ないかなど、明確なニーズが掴めないため、色分けにバイアスを持ち込んでいると考察する。

一方で、トイレのマークのようなものに対する色分けは、視認向上を目的として色分けである。ルールを設けて常に同じ色を使うことに意味が生まれるため、これらを混同すべきではなく、感情的に一緒にしてしまうと議論する余地がなくなると感じた。

そもそもピクトグラムは視認向上を目的としている以上、色分けは当然の手法のため、ジェンダー平等よりも視力の弱い人(色覚異常の方を含む)に対するユニバーサルデザインインクルージョンの視点で議論するべきなのではないか。

皆さんの考えも、色々伺えれば嬉しい。